放課後、ユウキは忘れ物を取りに、ひとりで学校へ戻ることになった。教室に体操着を置きっぱなしにしていたのを思い出し、夕焼けが差し込む中、昇降口をくぐった。普段なら賑やかな声が響く校舎も、この時間には誰もおらず、足音だけがカツン、カツンと反響する。静かなはずの空間が、どこか耳鳴りのような音に満ちている気がして、ユウキは自然と足早になった。
用事を終え、ランドセルに体操着を詰め込み、帰ろうと廊下に出たときだった。ふと、何かが変だと感じた。昇降口までの道のりはいつもならすぐなのに、歩いても歩いても、なぜか終わりが見えない。ガラス窓から差し込む夕日は、さっきとまったく同じ角度で光を落としていた。
(…おかしい。こんなに長かったっけ?)
足を止め、振り返ってみた。来たはずの教室が、見当たらなかった。黒板の端や貼り紙のある壁——確かに見覚えがあったはずのものが、廊下のどこにもないのだ。代わりに、まるでコピーされたような廊下が延々と続いていた。
不安になったユウキは走り出した。もう一度昇降口に戻ろう。角を曲がり、また曲がり、見覚えのある水飲み場や階段を探したが、どれも似て非なるものばかり。廊下はどこまでもつながり、まるで出口のない迷路のようだった。
走るたびに、ユウキの呼吸は荒くなっていった。汗が額をつたい、手のひらは冷たく湿っている。耳を澄ませば、自分の足音とは別に、もう一つ足音がしているような気がした。
「誰かいるの……?」
そうつぶやいたその瞬間、照明が一斉にパチンと消えた。辺りは薄暗い影に包まれ、ユウキの心臓がドクンと大きく鳴った。
「たすけて……!」
叫びながら走るユウキの目の前に、突如、昇降口が現れた。いつものように開かれたドア、いつもの靴箱、夕方の風が吹き込んでいる。息をのむようにその場に立ち止まり、振り返った。
そこには、さっきまで走っていたはずの廊下が、まるで黒い煙のように消えていく瞬間があった。床も壁も天井も、静かに崩れながら闇に溶けていく——そして、完全に消えた。
ユウキはしばらくその場に立ち尽くしていたが、ようやく我に返り、靴を履いて家へと帰った。
次の日、学校では何事もなかったかのように授業が始まり、友達も先生もいつも通りだった。ユウキは昨日のことを話してみた。
「え?そんなに長い廊下なんかないよ。何言ってんの、ユウキ」
友達は笑いながらそう言った。でも、ユウキは確かに見た。何度も同じ廊下を走った。確かにあの“闇”のような空間の中に、自分はいたのだ。
数日後、何気なく旧校舎の平面図を眺めていたユウキは、あることに気づいた。図面の端に、手書きで書かれた消えかけたメモがあったのだ。
《通り抜け禁止:西廊下、時間変動あり》
ユウキはその言葉を見て、ぞっと背筋が冷えた。
一言解説
見慣れた場所ほど、ふとした瞬間に異質な空間へ変化することがあります。感覚のズレに気づけるかどうかが分かれ目になります。
考えてみよう
・日常の中で急に不安を感じたことはありますか?
・いつも通っている場所が違って見えたら、どうしますか?
・不思議な体験をしたとき、あなたは誰に話しますか?